
池田先生ご指導


絶対強盛なる信心とは、子供がこわいことが起こると「おかあさーん」と母親のところへ飛んでいくようなものだ。その気持ちで御本尊に願ったならば、どんな願いもかなう。これはたんなる理論ではなく、信心である。

迷っている人があれば車にのせて、大御本尊様の御もとに案内して行くのが、学会唯一の使命である。

御本尊から自分はけっして離れない。生涯、御本尊を根本に題目をあげきっていくのだ。この思いのなかに信仰がある。

本当の偉さとは、たとえ人にしてあげたことは忘れても、してもらったことは一生涯忘れないで、その恩を返していこうとすることだ。そこに仏法の光がある。

妙法の安楽は、生命の内奥よりわきでる安楽である。もっとも生命力が強く清浄に輝き、生きること自体が楽しみであり、あらゆる価値創造をしていく最高の安楽なのである。

題目を唱え、現場に打って出て、地道に積み重ねゆく一つ一つの行動、一回一回の語らいが、どれほど広大な功徳を呼び集め、どれほど偉大な善根を揺り動かしていくか。

たしかに一面は貪・瞋・癡が不幸の原因であろうが、再往考えてみると、欲望なくして、どうして、人間はより以上成長し、よりすぐれた文化を創造しようとするであろうか。

広布の最前線の地区やブロックでも、勇敢にして誠実な宝友の挑戦が、新たな地涌の眷属を呼び出している。
