池田先生ご指導

絶対強盛なる信心とは、子供がこわいことが起こると「おかあさーん」と母親のところへ飛んでいくようなものだ。その気持ちで御本尊に願ったならば、どんな願いもかなう。これはたんなる理論ではなく、信心である。

スポンサーリンク

仏、御本尊に対しては、恋慕をいだき、渇仰の心を生じ、ほんとうにしたわしいという心がなければ、その人の信心は弱いといえよう。これからわずか二、三十年あるいは、四、五十年の短い人生のあいだを、何百万年、何千万年に一度もおあいしがたい大御本尊にお目にかかれた喜びで暮らしていけることを感謝し、誇りをもっていきたいと思うのである。


絶対強盛なる信心とは、子供がこわいことが起こると「おかあさーん」と母親のところへ飛んでいくようなものだ。その気持ちで御本尊に願ったならば、どんな願いもかなう。これはたんなる理論ではなく、信心である。母親のところへ、死にものぐるいというか、純粋というか、それ以外にないのだという、その一念で御本尊を拝し、御本尊に願っていけば、どんなことでもつうじ、その祈りはかなう。それが信心の究極なのである。