大聖人は、一切衆生の「異の苦」も「同一苦」も悉く「日蓮一人の苦」と仰せになられた。
このお心に連なって、我らはたゆまず「立正安国」の対話に打って出る。信仰の有無や立場などを問わず、同じ時代に生きる仲間として、現実の課題を共に見つめ、よりよき社会の建設へ人間主義の連帯を築くのだ。
信念と大情熱の語らいの中で、仏性という最極の善の生命を互いに輝かせ合うことができる。反発さえも、「立正安国論」に「咲み止めて」とあるように、笑顔で受けとめながら、幸の仏種を心田に蒔いていくのである。
ここから、「人間革命」のドラマが幾重にも生まれる。
法華経の妙荘厳王品は、邪見に囚われていた父王が、妻と二人の子によって正しき信仰に導かれる物語である。
ひとたび目覚めた父王は大いに歓喜し、一挙に偉大な力を発揮する。王宮の幾多の群臣眷属を、仏のもとへ引き連れ、そして諸共に正義と功徳を拡大していくのだ。
広布の最前線の地区やブロックでも、勇敢にして誠実な宝友の挑戦が、新たな地涌の眷属を呼び出している。
祈りと真心を尽くす人間外交で、「一人」への励ましを広げ、幸福と平和の波動を起こしゆこうではないか!