たしかに一面は貪・瞋・癡が不幸の原因であろうが、再往考えてみると、欲望なくして、どうして、人間はより以上成長し、よりすぐれた文化を創造しようとするであろうか。また瞋恚なくして不正は追求されないし、感情を抑えたところには、鬱積した暗い空気が、いつも重々しくたれこめるものである。さらに、人間は、本来愚かしさをもっているものである。皮相的には知識を与えたとしても、知識は知恵の門に入る門にすぎず、表面をとりつくろったにすぎない。貪欲は貪欲のまま、瞋恚は瞋恚のまま、愚痴は愚痴のままで、そのありのままの姿のなかに、みずからの幸福を追求し、社会のために尽くしていける教えが、日蓮大聖人の仏法哲学なのである。これこそ、もっも近代的な、人間性にかなった行き方というべきであろう。