1 2 3 4 134
自分は、これだけ信心したから、もう心配はないだろう。だれにも、そんなことは言えない。仏法、信心は、永遠に前進であり、永遠に闘争である。

自分は、これだけ信心したから、もう心配はないだろう。だれにも、そんなことは言えない。仏法、信心は、永遠に前進であり、永遠に闘争である。

しかし、苦しみは苦しみの人生のまま、悲しみは悲しみの人生のまま、題目を唱え抜き、妙法に照らされていけば、福徳に満ちた自由自在の境涯を開いていける。

しかし、苦しみは苦しみの人生のまま、悲しみは悲しみの人生のまま、題目を唱え抜き、妙法に照らされていけば、福徳に満ちた自由自在の境涯を開いていける。

信心とは「疑わざること」である。また「真実を訴える」義がある。この両方があって、まことの信心といえるのである。

信心とは「疑わざること」である。また「真実を訴える」義がある。この両方があって、まことの信心といえるのである。

妙法は、一切の難も、一切の労苦も、一切の歴史も、すべて限りなき法楽へと転じゆく法則である。

妙法は、一切の難も、一切の労苦も、一切の歴史も、すべて限りなき法楽へと転じゆく法則である。

人生は信の上に立つといってよい。この基礎がぐらつくならば、不安この上ないものとなる。したがって、問題は信ずるか信じないかの問題ではなくて、何を信ずるべきかである

人生は信の上に立つといってよい。この基礎がぐらつくならば、不安この上ないものとなる。したがって、問題は信ずるか信じないかの問題ではなくて、何を信ずるべきかである

生きようという「希望」の力によって、脳が体に命令を下し、「人体の化学兵器を駆使」して、病気と闘わせる。

生きようという「希望」の力によって、脳が体に命令を下し、「人体の化学兵器を駆使」して、病気と闘わせる。

永遠の勝利のために、今、この時から戦いなさい。この場から戦いを開始するのです。

永遠の勝利のために、今、この時から戦いなさい。この場から戦いを開始するのです。

反対に信心の一念が弱くなってくると妙法の友の批判や、幹部のアラさがし、果ては「あの顔が気に入らない」とか低い感情にとらわれていく。

広宣流布へ祈り戦う中で仏の生命力が滾々と脈打ってくる。題目の師子吼で病魔も退散させ、「更賜寿命」の実証を示していくのだ。

歓喜する新会員の心には、無限の可能性を開く力がある。喜びに溢れた友の一言は、百万言の理論に勝り、人の心を揺さぶっていくものだ。

題目を唱え、逆境を切り開き、力強い人生を歩むとき、生活、生命の上に厳然と功徳が湧き、証得できるのである。

煩悩が不幸をもたらす元凶であることは疑いないが、それは同時に、生命の一種のエネルギーでもあるという事実に目をむけなければならないのである。

御本尊を拝することは、法華経に染められることであり、私達凡夫にとっては最高の善縁にあって生命が浄化される故に、浄法である仏界が顕現するのである。

大詰めまで来ながら“最後の一手”をおろそかにして、積み重ねた労苦を無にする愚を戒めている。

まずはリーダーが「座談会こそ弘教・拡大の生命線」と定め、「一回一回を“戦う座談会”に」との自覚で、真剣勝負で取り組んでいきたい。

現在の一念が「因」となり、未来の「果」をいくらでも変えていける、と仏法では説く。

どんな試練に遭っても勝っていける人が幸福である。幸福は、何度でも勝ち続け、自らつかみ取るもの。

其のイメージ図は具体的で精密なほどよい。

自分の全細胞を一新させるくらいの決意で祈るのです。

方便品で説く十如是のなかでも、相如是から始まっており、これこそもっとも大切なのだ、と仰せでなのである。

1 2 3 4 134