本日の御書

本日の御書 建長寺は所領を取られてまどひたる男どもの入道に成りて四十五十六十なんどの時走り入りて候が用は之れ無く道隆がかげにしてすぎぬるなり、云うに甲斐なく死ぬれば不思議にて候をかくして暫くもすぎき。

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【御書本文】
建長寺は所領を取られてまどひたる男どもの入道に成りて四十五十六十なんどの時走り入りて候が用は之れ無く道隆がかげにしてすぎぬるなり、云うに甲斐なく死ぬれば不思議にて候をかくして暫くもすぎき。
又は日蓮房が存知の法門を人に疎ませんとこそたばかりて候らめ、あまりの事どもなれば誑惑顕われなんとす、但しばらくねうじて御覧ぜよ、根露れぬれば枝かれ源渇けば流尽くると申す事あり(弥源太入道殿御消息p1230 n1703)

【通解】
建長寺は、所領を取り上げられて行き先のない男たちが、入道となって、四十・五十・六十歳などにもなった時に逃げ込んできた者たちの集まりである。そうした人間たちが、何の働きもなく、道隆の陰に隠れて暮らしてきたところなのである。(道隆が)ふがいない死に方をしたのが不思議なので、このような(道隆の骨が仏舎利になったという)説を流して、しばらく過ごしたのである。
または日蓮(大聖人)の知っている法門を人に疎ませようとして、うわさを仕組んだのであろう。しかし、あまりのことなので、その誑惑(人をたぶらかし惑わすこと)の企みが露見しかけている。(ゆえに)ただ少しの間、我慢してごらんなさい。「(樹木は)根があらわれれば枝は枯れ、(河川は)源が渇けば流れは途絶えてしまう」(天台大師の摩訶止観の文)という道理がある。

【先生の指導から】
建長寺といえば、当時、”鎌倉一”との名声、格式を誇る大寺院(鎌倉五山の筆頭が建長寺)であった。しかし大聖人は、本質を鋭く見抜かれていた。社会の脱落者が出家して集まり、修行もせず、厚い庇護の陰で腐敗しきっていた実態を─。
学会の外護によって”日本一” “世界一”の繁栄を誇った大石寺も、出家の本義を忘れ、俗世の欲望に走った者たちによって完全に牛耳られてしまった。ついには「正法流布」にまい進する学会を疎んじ、信徒を奪い取ろうとして数々の策謀を仕組んだことまで、謗法の禅寺・建長寺とあまりにも似ている。そういえば、「日顕宗は禅寺と縁が深い」と言う人もいた。
大聖人の弟子を名乗りながら、禅寺以上に堕落しきった宗門の姿を、大聖人は心から悲しまれ、怒っておいでであろうと拝されてならない。
しかし、大聖人が厳然と仰せのように、御本仏に敵対し、仏子を迫害する「悪の画策」は必ず、その「根」があらわれ、「源」が渇いていく。そして仏法の厳しき因果は、「謗法者の末路」と、「広布の団体の勝利」の明暗を、鮮やかに浮かび上がらせていくにちがいない。