本日の御書

本日の御書 上に挙ぐる所の諸宗の人人は我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者よと名乗り候へども予が如く弘長には伊豆の国に流され文永には佐渡嶋に流され或は竜口の頚の座等此の外種種の難数を知らず(最蓮房御返事p1341 n1782)

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【御書本文】
上に挙ぐる所の諸宗の人人は我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者よと名乗り候へども予が如く弘長には伊豆の国に流され文永には佐渡嶋に流され或は竜口の頚の座等此の外種種の難数を知らず(最蓮房御返事p1341 n1782)

【通解】
先に挙げた諸宗の人々は、自分こそ法華経の意を心得て、法華経を修行する者であると名乗っているけれども、日蓮が受けたような弘長の伊豆流罪、文永の佐渡流罪、あるいは竜口法難等、その他種々の難に遭っていない。

【先生の指導から】
経文のとおり、御書のとおりに、権力、社会からの大難を受けているのか、いないのか─。ここに正邪の決め手がある。あとの形式などは枝葉である。
“本物”であればあるほど、三障四魔、三類の強敵が激しく競い起こる。大聖人は、このことを諸御抄で繰り返し示されている。どうか、皆さまはこの点をよくよく考えていただきたい。
今日において、経文どおりの難を、創価学会ほど受けている団体はないのである。(拍手)
次元は異なるが、一般の社会、人生にあっても、”ともに進む相手”を間違えたらたいへんである。結婚されている人なら、多くを語らずとも”選択の大事さ”はすぐわかると思う(爆笑)。また本日、参加されている皆さまの中には、恋愛中の方もおられるかもしれない。(笑い)
一生を左右しかねない大切な問題である。自分の感情にのみ溺れたら不幸になる場合がある。大切な大切な皆さまである。私は、絶対に、ただの一人も不幸になってもらいたくない。
自分の気持ちが根本であることは当然として、両親や、人生経験豊かな婦人部の先輩のアドバイスも冷静に聞いていただきたい。そして、自分も満足し、周囲からもうらやまれるような、価値ある幸の人生を建設していっていただきたい。(拍手)