【御書本文】
願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ師子は値いがたかるべし(閻浮提中御書p1589)
【通解】
願わくは日蓮の弟子等は師子王の子となって、群狐に笑われることがあってはならない。過去遠々劫以来、日蓮のように、身命を捨てて強敵の過ちを顕しなさい。師子はあい難いのである。
【先生の指導から】
私たちの永遠の指針として、生命にとどめるべき一節である。古代ローマの哲学者であり、大弁論家のキケロは、「雄弁」であることの価値を主張した。
「悪人が権勢を振るって善良な市民を害し全市民に損失を与えることの無いようにするためにも、より一層熱意を注ぐ必要がある」(片山英男訳「発想論」、『キケロー選集6』所収、岩波書店)また彼は、雄弁こそが「人々の暮らしを安全で、気高く、輝かしく、幸福に出来る」「友人に最も確実で最も安全な助けを与えることも、雄弁から可能となる」(同)等と強調した。私は、「わが愛する青年部よ、雄弁であれ! 民衆を守るために! 」「君よ、よりいっそう雄弁であれ!」と心から願っている。