


ある日、勤行をしていると、耳からパチンと音が鳴って、ガーという音が聞こえてきたのさ。

本来、生命は一念三千、十界互具の当体であり、そこに秘められた福運と生命力と英知は、いかに無限性に満ちた泉であるかしれない。

退転状態の人を、再び信心に奮い立たせるためには、まず、何をなすべきか?

信心とは何か、これがじつに重大な問題である。 すでに、いくたびも申し上げたが、いかなる怒涛、

宝くじで一回でも一等が当たれば大喜びするのに、人間として生まれてきて信心ができた素晴らしさがなかなかわからないで、退転していく人もいます。

〈名字の言〉 2020年1月8日 令和初の第96回箱根駅伝は、創価大・米満選手の歴代2位の区間賞で幕を開け、

こっちには信心があるからといって、手をこまねいていると、そこに油断がおきるのだ。

初信の人々は、自分自身の苦悩の解決と願望の成就を願っての信心といえるであろう。 しかし、深く日蓮大聖人の御書を拝しゆくならば、それでは完全にして真実の発心とはいえない。
