池田先生ご指導

初信の人々は、自分自身の苦悩の解決と願望の成就を願っての信心といえるであろう。 しかし、深く日蓮大聖人の御書を拝しゆくならば、それでは完全にして真実の発心とはいえない。

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初信の人々は、自分自身の苦悩の解決と願望の成就を願っての信心といえるであろう。
しかし、深く日蓮大聖人の御書を拝しゆくならば、それでは完全にして真実の発心とはいえない。
もちろん、それであっても、甚探無量の大法の功力によって、偉大なる利益、功徳があることはまちがいない。しかし、真実無量の大功徳に浴さんがためには、発心を真実にして、大聖人の門下として広宣流布に立ち向かい、地滴の眷属としての使命に生きぬくことこそ肝要である。
これが、宗祖大聖人より御称讃いただける、まことの信心であることを知っていただきたい。
大聖人の御遺命たる広宣流布を願って、自行化他の実践をしていくなかに、個々の願望もことごとくつつまれて、しぜんに所願満足の人生へとつうじていくことも、ここに確認しあっておきたい。