
池田先生ご指導


信心は他人に「どう見えるか」ではない。自分自身が「どうあるか」「どう行動したか」である。目には見えない「一念」と「行動」が、長い間には必ず目に見える結果となって現れてくる。

〈御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針〉18 2018年5月8日 婦人部に功徳と幸福あれ

〈御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針〉18 2018年5月8日 婦人部に功徳と幸福あれ

いわんや信心の世界はもっと厳しい。謙虚な求道心を忘れ、自分を大した存在と思ったとたんに墜ちてしまう。幹部も地位を得た人も、皆そうである。

戸田先生は、御本尊を拝んで大歓喜がわかなくては真の信仰とはいえない、とまで言われました。歓喜があれば功徳の大輪は、ますます大きくなる。

御書では随所に、苦難とは仏になるための試練であると示されている。ゆえに「まことの信心が今、試されているのだ」と立ち向かえば、断じて乗り越えられないわけがない。

…対話も、結論するに、御本尊への勤行・唱題に導くことにある。いくら明快な理論で論じても、また相手が納得したからといっても、それだけでは意味がない。あくまでもその目的は、その人が信心、勤行を深めていくための実践につながらなければならい。

十年、信心をしっかりやれば、その人の生命は、じつに清らかな生命となり、皮膚といい、目の様子といい、一つ一つの動作といい、みな、柔和な、清浄なものを、それでいて威厳のあるものを持つようになる。それが御本尊の功徳である。
