池田先生ご指導

十年、信心をしっかりやれば、その人の生命は、じつに清らかな生命となり、皮膚といい、目の様子といい、一つ一つの動作といい、みな、柔和な、清浄なものを、それでいて威厳のあるものを持つようになる。それが御本尊の功徳である。

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だれがどう言おうと何をしようとお題目にはかなわないのです。行動がないと信心とは言えないのです。御本尊様は見通している。信心の世界は不思議なもので、本気になってやれば、今の千倍、万倍の功徳が出るのです。信心の世界はお題目上げきっていけば、鉄の扉が開く力があるのです。宿命転換ができないわけがありません。信心の世界は皆で大勢で嵐のようにお題目をあげていく世界なのだ。 お題目だね。
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毎日の題目の功力によって解が生じてくるので、解とは学問の理解である。学問することによって、すなわち大聖人の御書を精読することによって、毎日、行の助けをかりて信仰の根本義が理解され、理解することによって、信心がまた、ますます深くなり、信心が深まることによって、行をますます励むのである。
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瞬間瞬間、生命は変わっていく。停滞することを知らない。仏界という生命も、御本尊を受持し、唱題している状態から離れれば、すぐに冥伏して消えてしまうのであります。永年、信心強盛で大幹部になったとしても、この御本尊から離れ、題目をとだえさせてしまうならば、電流のスイッチを切るのと同じように、仏界は冥伏してしまう。もうなんの力もなくなってしまう。だが、これを生涯実践しぬくことによって、自己の生命の基調を仏界としていくことができる。千里の道も一歩よりで、刹那成道、即身成仏の瞬間瞬間の積み重ねによって、汝自身の生涯を貫く基調として仏界を確立しきっていくことが、一生成仏という原理になる、と私は思う。
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信心の実証は「百発百中の法則」と牧口先生。
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前進している信心、生き生きとした勤行の実践があれば、生命は躍動し、宇宙のリズムと見事に調和してきます。生命力が弱まったり、信心に行き詰まっているときは、勤行ができなかったり、勤行していても、なにかおかしいなと感じさせるものがあります。それはまた自分自身がいちばんよくわかるものです。いわば、これ以上の健康管理法はないといってもよい。
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信心指導も、すべて自分のためである。例えば「退転させまい」。この強い一念と祈りの激励は、実は自身の生命に「自分は永遠に退転しない」という楔を打ち込んでいるのである。また、信心は「一生」である。そして「三世」である。
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すっきりと、勇んで行動する信心が、功徳をわかせる。 臆病や、怨嫉、文句、策の信心では、諸天も動かない。
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御本尊に向かう信心の姿勢が、そのまま御本尊に映り、結果として生活に映し出される。信心の心が強く、清らかであれば、御本尊の鏡に映し出されてその心のままに、諸天は動き、人生は幸福になっていく。
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せっかく信心しているのに〝怨嫉〟してはいないだろうか。環境に負けてはいないか。マンネリズムに陥ってはいないか。魔を見破れないでいることはないだろうか等々、健康診断ならぬ〝信仰診断〟というものが、人間はときどき必要ではないか。
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大切なことは、信心の指導をするのであって現象面のみに目を奪われて、解決方法のみに終始してはならないというのです。「体曲がれば影ななめなり」ですから、信心の姿勢をきちんと正していくことが肝心なのです。信心が体で、困っているものは影なのです。
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信心の厚薄により、また信心が強いか、弱いかによって、幸、不幸が現れてくるのです。
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そうなると、悦可衆心、われわれの心を悦こばしてくる。そうなった人は、いつでも晴れ晴れしいから、悦ばざるをえない。