「理は、信を生み、信は理を求め、求めたる理は信を高め、高めたる信は理を深からしむ」と、恩師戸田前会長はいわれた。どうか、題目をしっかりあげ、御書の1ページでも、1行でも、日々月月年々に、少しずるでも自分のものにしきっえいこうという姿勢で臨んでいただきたい。
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信心しているからといって、もとより皆、欠点や短所がなくなるというのではない。だが、妙法によって浄化された場合には、同じ欠点や短所であっても、信心していない人とはまったく違ったあらわれ方をするものである。結局はぜんぶ、変毒為薬されて、それが、その人の持ち味となり、魅力となっていくことは、間違いない。
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広宣流布といっても、一人ひとりの人間革命と幸福境涯の確立がなければ、砂上の楼閣になってしまう。ほんとうの意味での折伏の成就とは、入会者に信心への不動なる確信をもたせ、広布の使命に勇んで突き進む人材に育てあげたときといってよい。
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皆さんが担当した地区、班、組の中で、何人の人が信心に奮い立ち、御本尊の功徳に浴したか。それこそ、常に心しなければならない最重要のテーマです。
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御本尊への祈りこそ、信心の根本である。それを人びとに教えるための組織であり、学会活動である。広宣流布への前進の活力も、宿命転換への挑戦も、また、団結を図っていくにも、各人が御本尊への大確信に立ち、強盛な祈りを捧げることから始まる。
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信心の深さ、強さ、不惜身命の実践によって、御本尊の功徳は、無量に涌現する。
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人は決して指導を受けただけでは、信心の成長を図れないということです。そのためには、体験を積んでいくことが大事です。
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我々の生命を動かすものが信心である。ゆえに御本尊を拝めば、宿命を転換することが出きる。
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部員さんであれ、あるいは友人であれ、みんなは創価学会に何を求めて集ってくるか。結局は「信心」を求めて集ってくる。この一点を、夢にも忘れてはいけない。
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ただし、組織は手段であり、個々人の信心の向上を促し、幸福になっていくための指導こそが、その出発点であることを忘れてはならない。あくまでも学会の組織の目的は、一人ひとりのメンバーの絶対的幸福であり、成仏にあります。組織での役職も上下の関係を意味するものではありません。幹部は、いわば団結の要となる存在といえます。