池田先生ご指導

…対話も、結論するに、御本尊への勤行・唱題に導くことにある。いくら明快な理論で論じても、また相手が納得したからといっても、それだけでは意味がない。あくまでもその目的は、その人が信心、勤行を深めていくための実践につながらなければならい。

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…対話も、結論するに、御本尊への勤行・唱題に導くことにある。いくら明快な理論で論じても、また相手が納得したからといっても、それだけでは意味がない。あくまでもその目的は、その人が信心、勤行を深めていくための実践につながらなければならい。
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信心の基本は、まず第一に、五座三座の勤行を真剣に行ない、題目をできるだけ数多く唱えることである。一日の生活にも、勤行、唱題が源泉となって、偉大な力が躍動してくる。勤行しないと、一日のリズムがこわれ、憂うつで、身体がだるく、話すことも相手に通ぜず、勇気もでない。また日々の勤行が、半ば居眠りであったり、他のことばかりに気をとられて真剣でなければ、その生活もまた環境に流され、、居眠りのような生活であったり、心が落ちつかず、たえず不安がつきまとう。こうした経験は、先輩のだれしもが痛感している事実である。
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前進していけば、当然行き詰まる場合がある。その時は、一段と題目をあげ、行動することだ。そうすれば、また必ず大きく境涯が開けてくる。再び前に進んでいける。この限りない繰り返しが信心である。その自分との戦い、行き詰まりとの戦い、魔との闘争に、勝つか負けるか、それが勝負なのである。
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全ての現象は心の表れ、と。ゆえに心が変われば一切が変わる。「信心で勝つ」と決めた瞬間から、人生の逆転劇の幕は開いた。
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「信心で勝つ」という真の団結は、単なる「足し算」ではありません。何倍、何十倍という、想像を超えた勢いを生む「掛け算」となります。
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「人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ」(御書1220ページ)を拝し、断固勝つとの一念が強いほど、諸天はいよいよ勢いを増すと強調。題目の大音声を轟かせながら、“最後は信心しきったものが、正しい仏法が必ず勝つ”との強き信念で走り抜こう。
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「一念の力は無限だ! 一念の力は偉大だ! 『断じて勝つ』。この執念が強いほうが勝つ。心で勝ったものが勝つ。信心の王者こそ、絶対不敗の勝利者なのである」
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勤行のなかに自分自身の生命、信心の実相が、きちんとあらわれているものだ。前進している信心、生き生きとした勤行の実践があれば、生命は躍動し、宇宙のリズムと見事に調和してくる。生命力が弱まったり、信心が行き詰まっているときは、勤行ができなかったり、勤行していても、なにかおかしいなと感じさせるものがある。
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確信ある信心は、勤行の声の響きや、歯切れのよい口調にあらわれてくる。声が極端に大きかったり、その反対に、小さすぎたり、言葉がはっきりしなかったりするのも、その人の信心のあらわれである。
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…たしかに「生命力」という表現は信心している私たちの間では実感としてよくわかる言葉です。朝夕、御本尊と対座して、朗々と勤行・唱題するとき、私たちの色心の奥底から、仏界即南無妙法蓮華経の大生命が涌現する、その瞬間の歓喜と爽快さは信心している者のみが味わうことのできる醍醐味であるといってよいでしょう。まさに「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せの通りの状態を味わうことができます。
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