明治初期、戊辰戦争で焼け野原となった長岡藩に、米百俵の支援が届けられた。藩の大参事・小林虎三郎は、あえてそれを人材育成の元手とした。「(窮状)だからこそ、いま学校を建てて将来を期したいのだ」と(『国を興すは教育にあり』麗澤大学出版会)▼創設された国漢学校からは数多の英才が巣立ち、戦後の復興をけん引した。米俵に“藩の希望”を見いだした先人のように、試練の中でも志一つで、全てを未来を開く糧にできる▼ある女性部員は結婚し、2人の子宝に恵まれたが、厳しい経済苦に直面した。家計は火の車で、頭の中は金策ばかり。大病も患った。その惨めさは言いようもなかった▼それでも、同志の励ましを受け、必ず幸せになれると信じ、学会活動に挑んだ。薄紙をはぐように生活は安定。乗り越えた宿命は全て、友に寄り添う使命に変わった。母の背中を見て育った子どもたちも後継の人材に。「苦労にさえ感謝できる自分になれた。それが最高の功徳です」▼白米一俵御書に「凡夫は志と申す文字を心えて仏になり候なり」(新2053・全1596)とある。その時、その瞬間にどう決意し、行動するかで未来はいくらでも変えられる。清新な息吹で、新たな挑戦を開始しよう。(閃)