会館の談話コーナーで小さな子らに囲まれ、絵本を読み聞かせる婦人部員がいた。ほほ笑ましい情景を見ていて、ふと気付いた。ほとんどの子が本ではなく、読み手である婦人の目をじっと見ていた▼中には、まだ言葉を覚えていない幼い子もいた。それでも、婦人が各場面で目を細めたり、見開いたりするのに合わせて、笑ったり、驚いたりしていた。ことわざに「目は口ほどに物を言う」とあるが、子どもたちは婦人のまなざしから、物語そのものを感じ取っていたのだろう▼ある座談会でのこと。終了後、新来の友人が参加者と懇談していた。やがて、友人は入会を決意。周囲から祝福の拍手が起こった▼後日の入会記念勤行会で、友人が、信心しようと思った理由を話した。「懇談の場で、一人の壮年が涙ながらに語った体験談を、皆も目を潤ませて聞いていた。私が時折、周囲に視線を向けた時、目をそらす人はいなかった。皆さんの目を見て、“これは信じられる”と思いました」▼肉眼に映る事象は同じであっても、人それぞれの境涯によって、その事象を捉える意味は違ってくる。“心の目”ともいえようか。信心根本に、わが生命を磨き、真実と正邪を厳然と見抜く目をもって、師と共に、同志と共に人生を勝ち開きたい。(城)