「状況が変化した時、問題が悪化した時、それに応じて、すばやく決定を変える勇気」
広宣流布とは、一面、変化との戦いである。思いもよらぬ事態に直面することも当然である。それまでのやり方が通用しなくなる場合も多々あるであろう。ある意味では変化の連続だと言ってよい。急な変化にも、速やかに対応できる「勇気」と「決断力」と「新鮮な発想」。そこに指導者の真価がある。
どのような状況になっても、厳然と受けて立ち、本質を見極め、希望への道を明快にする。そして、あの人の言うことは正しい、納得できるし、やる気がでる。よし、わかった、やろうじゃないか!と皆の力を引き出し、結集していけるリーダーであってほしい。
妙法は宝の法である。自分も必ず幸福になり「宝の人生」となる。また先祖も子孫も一族も皆、目には見えないが厳然と光輝く「幸福の軌道」に乗せていける。まさに不思議の法である。
そして、目に見えない電波が月にも届くように、妙法の同志の生命の無線も、距離を超えて、瞬時に、心から心に通じていく。ゆえに私どもは離れていても、いつも心はともにある。
妙法は宇宙の最高の宝である。唱題することは、毎日、我が生命に宝を積み重ねていくことなる。
一方、生命のなかの罪業は、清浄な水に濁った水が押し出されるように、洗い流されていく。
だから、完全に清浄になるには、ある程度、時間がかかる。はじめのうちは、少し濁った水、すなわち自分の宿命との戦いがある。それも唱題の力で軽く受けているのである。ゆえに「持続」することである。やがて、すっかり生命が清浄になれば、どんどん、すべてがよくなってくる。
福徳に満ちた、何ものにも壊されない「絶対的な幸福」の境涯に、必ずなっていく。何があっても楽しい。名声や財宝がなくても満足である。一瞬、一瞬が、最高に充実している。喜びに満ち、すべてが美しく見える。何を見ても、パッと正邪がわかり、本質がわかる。なにがあっても、人のことを考えてあげられる。そういう自分になっていく。だから、幸福への道は決して難しいことではない。
罪状だらけなので、助かる〜〜信心頑張ります。