池田先生ご指導

「身の病」を機縁とした発心であっても、仏法の実践は同時に「心の病」をも癒やしていく。唱題の力は、病を克服する強き生命力をもたらすのみならず、生命の奥の宿業をも転換していく。

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大病をした人は深い人生の味を知るという。仏法では、「病」も、志向の目的である「成仏」への契機としていけると位置づける。苦しい病気という不幸が、そのまま永遠にわたる絶対的幸福へのステップ台となっていく。
病気で苦しければ、だれしも一生懸命、題目をあげ始めるにちがいない。また、そうした苦難のときこそ、いやまして信心の炎を燃やさねばならない。大切なことは、病気を不幸への出発点とするか、より大いなる幸福への軌道へのスタートとするかである。
「身の病」を機縁とした発心であっても、仏法の実践は同時に「心の病」をも癒やしていく。唱題の力は、病を克服する強き生命力をもたらすのみならず、生命の奥の宿業をも転換していく。