しかし、野茂は淡々と行きました。気がついてみるといつのまにかオールスターに登場していた。そうなると日本のマスコミは手のひらを返したように、アメリカに出かけていきました。
そして、野茂に「日本の国民のために頑張る」と言ってもらおうとするんですが、野茂はそう言いませんね。「楽しんで投げてきます」と。
しかも彼は、英語がペラペラかと思うと、それほど得意ではないのでしょうね、
勝利者インタビューでも通訳がついて話しています。我々はよく心細くないなと思ってしまいます。
この一連の行動を見ていると、どうも野茂は、一般の日本人的感性ではないなと感じていたんです。そうしましたら、調べた人がいました。
野茂は大阪の生まれだそうです。しかし、両親は五島列島の出身なんですね。
この五島列島というのは、昔の、室町時代や戦国時代に、朝鮮沿岸や中国沿岸などを荒し回った倭寇の拠点の島の一つだったんですね。
今でも、海の男の島なんだそうです。したがって、そういう文化を両親が持っていた。
そういう中で育っているんですね。
この「海の文化」というのは非常に自立的ですね。
そして、非常に活動的かつ開放的なんです。ですから、戦国時代に東南アジアに日本人町を作ったりしていて、非常に大胆で行動的です。
一方、「村の文化」というのは非常に世間体を気にし、また、保守的で、そして、自分の意見は言わない。表面はにこにこしていても、本音は違う。
建前と本音を立てわけるという特徴があるんです。
この二つの文化の流れが日本文化の中にある。あちこちに行ってこの話をしますとおもしろいですね。やっぱり、海側はそういう「海の文化」が強いんです。
山側は「村の文化」が強いんですね。ちょうどその両方が一つのゾーンになっているような地域に行くと、そこの幹部が、「なんで同じ創価学会なのにこんなに違うんだ」と言っています。この話をしますとはっきり納得していただけるんですが、日本全国にこの二つの文化の流れがあるんです。
日本のほとんどの宗教・哲学は、この「村の文化」をベースに出来上がっているんですね。しかし、唯一「海の文化」の宗教がある。それが日蓮大聖人の仏法なんです。
日蓮大聖人は、「旃陀羅が子」といって、「漁師の子」なんです。すなわち、海の文化なんです。ですから、身分制度が絶対的な力を持つ時代において、「旃陀羅が子」と自らを宣言された。「旃陀羅」というのは、サンスクリット語で「チャンダーラ」です。すなわち、カースト制度の最下層、「不可触賤民(触れることさえはばかられる賤しい民)の子どもであるということ」を誇りとされたんですね。少々、頭が悪かろうと、スタイルが悪かろうと、人柄が悪かろうと、身分さえ高いところに生まれれば何でもできる時代だったんです。
その時代の最下層ですからね。
かたや、大聖人が戦った相手は国家権力の最高峰なんです。何の後ろ盾もなく、それと真っ向からぶつかる。これはすごい対比だと私は思うんです。まったく身分とか権力を持たない大聖人と、方や権力の最高峰。ぶつかりあって、大聖人が「わづかの小島の主らが」という言い方をされる。
これは村の文化の人からは畏れ多くて言えない言葉ですね。
海の文化の大聖人にして初めて言える言葉だったんです。
大聖人の仏法というのは、まさに、「海の文化」の思想です。