名字の言

〈名字の言〉 2018年11月23日  友人が中学時代の思い出を語った。彼の学校の吹奏楽部は相当な実力があって、ある日、学校行事でその演奏を聴く機会があったそうだ。

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友人が中学時代の思い出を語った。彼の学校の吹奏楽部は相当な実力があって、ある日、学校行事でその演奏を聴く機会があったそうだ▼音楽に関心がない彼は、どんな曲だったか覚えていない。だが、演奏後の指揮者の話は、今も忘れないという。「曲の音符一つ一つの音を皆さんが耳で聴くのは一瞬です。でも、その一音を奏でるために私たちは、皆さんの想像を絶する時間を練習に費やしてきました」▼“偉大な瞬間”の背景には、偉大な労苦の積み重ねがある――友人の話を聞きながら、以前、年末に取材した座談会を思い出した。会場には1月からの毎月の座談会ポスターが飾られていた。大病で入院した婦人部員が描いたものだという▼その婦人は同志の励ましを胸に、12月、ついに退院を果たし、その年初めてとなる座談会に出席した。あいさつに立つ婦人は感謝の涙で言葉が出ない。「ほら、わが家に帰ってきたら何て言うの?」と同志に促され、絞り出すように言った。「ただいま」▼その一言に皆が喝采。この感動の瞬間に居合わせた新来の友が口を開いた。「まだ信心のことは分かりませんが、こんなに心温かい皆さんとなら頑張れそうです」。苦楽の山坂も、信心に生き抜けば人生勝利と結実する。創価の友の姿に教わった。(代)