指導者である以上指導は真剣勝負でなければならない。
せっかく剣道を習いにいったのに指導者がだらけて「勝手にやっておきなさい」などと言っていたのでは、伸びるわけがない。
書道でも、ピアノでも、どの道でも同じである。いわんや広布の世界にあっては
仏法を求めてきた人に指導者は生き生きと全魂でこたえねばならない。
その懸命な責任感を失うと自身の心が衰え、心の死へと向かっていく。そうであっては絶対にならない。
川が源流から海へと流れ続けるように日々新たに原点から出発し一生成仏という完成に向かって
成長し続けなければ本当の仏道修行とはいえない。
強くなれば、悲しみさえも栄養になる。苦悩が自分を深めてくれる。自分が押しつぶされそうな苦しみの底で、
初めて、人生と生命の真髄が、心に染み通ってくる。だから、苦しんだからこそ、生きなければならない。
前へ前へ進むのである。
「自分なんかもうダメだ」と思うような瀬戸際の時がある。実は、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである。
わが人生を敗北から勝利へ、不幸から幸福へと大転換しゆく分かれ目が、ここにある。