池田先生ご指導

御本尊を信じる心があれば、罰なんて当たらない。きゅうくつに考えたり、縛られたように感じる必要はない。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

御本尊を信じる心があれば、罰なんて当たらない。きゅうくつに考えたり、縛られたように感じる必要はない。
そもそも「罰」も、「功徳」も、自分の生命にあるものが出るのであって、だれかが罰を当てるようなものではないんです。
信じているだけでも、功徳がある。一遍でも題目を唱えれば、もっと功徳が出るし、何回も唱題すると、さらに功徳がある。
五座・三座ができない時は、方便品・自我偈でもいいし、題目嶽でも意味がある。自分で「これだけする」と具体的な目標を決めて取り組んでもいい。
朝が苦手な人は「朝は方便品・自我偈を、夜は三座を」とか、あるいは「日曜日に五座・三座する」ところから始めてもいいと私は思う。
一番大切なのは、水が流れるように、絶えることなく「続ける」ことだ。
一時的に頑張っても、あと、やめてしまったのでは、機械の電源を切るようなものだ。
「勤行をしよう」「題目をあげよう」「御本尊に向かおう」という心が大切です。
御本尊は「拝んでほしい」なんて言われたことはない。こちらから、「どうぞ拝ませてください」とお願いしたのです。
御本尊は「鏡」です。自分の心が映る鏡です。
だから「御本尊を大切にする人は、御本尊、御本尊から大切にされる」、これを覚えておいてください。