池田先生ご指導

「永遠の生命がわかる」ということは、必ず「慈愛」の行動に表れる。そうでなければウソです。すべての人の生命が仏様の生命と同じだとわかった人は、自分の命を削って、そのことを伝えようとする。

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「永遠の生命がわかる」ということは、必ず「慈愛」の行動に表れる。そうでなければウソです。すべての人の生命が仏様の生命と同じだとわかった人は、自分の命を削って、そのことを伝えようとする。
仏の境涯とか、悟りとか言っても、その行動にしか実像はないのです。
牧口先生も、そうでした。
これは、ある婦人の入信間もないころの体験です。その方は一生懸命、折伏・弘教に励んでいた。親の病気で悩んでいた一人の友人を牧口先生のところに連れていった。牧口先生は「親に信心させることが最高の親孝行です」という話しをしてくださった。その友人は即座に入信した。婦人は、友人と懸命に題目を唱え、友人の親は半年後に、実にきれいな相で亡くなった。「本当の親孝行ができてよかった」と、友人ともども喜んだ。
今度は、その友人の弟さんを折伏した。ところが弟さんは、信心すると決意したその晩に不慮の事故で亡くなってしまった。「信心すると決意したのに、すぐ死ぬとはどういうわけか」とびっくりして、婦人は、ただちに牧口先生の自宅にうかがった。
先生は、深夜にもかかわらず、「いっしょに行ってあげよう」と言われ、その夜のうちに来てくださった。そして、着かれるやいなや、「さあ、皆で一心に題目を唱えるのだ」と言われ、導師となって、長い間、題目を唱えてくださったというのです。その時、未入信の方も一緒に題目を唱えた。後日、その方も入信されたという。
「生死」の問題は、「こうなっています。こういう理屈です」というだけでは、解決しない。悲嘆にくれている、涙にむせんでいる、固く心を閉ざしている ・・ その人のために、身を粉にし、誠実を尽くしてこそ、心を「蘇生」させられる。「妙とは蘇生の義なり」(御書947頁)の実証が出るのです。