一般論で言っても、尊敬は尊敬を生む。軽蔑は軽蔑を生む。
自分が変われば、相手も変わる。人材育成にしても、相手を「必ず立派な人材になる人だ」と、まず信じて、尊敬してこそ成功する。自分の子分のような気持ちで接して、人材が育つわけがない。
同志を心から尊敬できる人が偉いのです。不軽菩薩は信仰していない相手すら、「仏界」があるのだからと礼拝した。いわんや信仰している同志を粗略に扱う人がいれば、必ず罰を受けるでしょう。
幹部は、よくよく振る舞いに注意しなければいけませんね。人を無礼に待たせたり、威張った態度では、法華経ではありません。
相手の態度がどうあれ、不軽菩薩は、ただひとすじに信念を貫いた。そして勝った。表面だけ見れば、「常にバカにしていた」有力者たちのほうが勝っていたように見えるかもしれない。しかし、じつは「常にバカにされていた」不軽菩薩が勝っていたのです。境涯には天地雲泥の差があったのです。
思えば、大聖人は、あの流罪の地・佐渡で、「願くは我を損ずる国主等をば最初に之(これ)を導かん」(御書509頁)と言われた。
何と崇高な御言葉か。幾万年の人類史の頭上、その天空高くから、雷鳴のごとく、天の交響曲のごとく、鳴り響き、とどろきわたる一言です。