信心指導も、すべて自分のためである。例えば「退転させまい」。この強い一念と祈りの激励は、実は自身の生命に「自分は永遠に退転しない」という楔を打ち込んでいるのである。また、信心は「一生」である。そして「三世」である。
目先のことに振り回されるのは、真の信仰者ではない。
最後には、すべてよくなるに決まっているのだから、常に前へ前へ、一切をよい方向へ。よい方向へととらえ、進んでいく。この、妙法を根本としたとき、強き「楽観主義」の人には、永遠に行き詰まりがない。第一、自分が楽しい。この喜びと確信の「一念」に、尽きることなき功徳と福運が、いよいよ備わってくる。