社説

〈社説〉 法難の日「7・6」から75年 2018年7月6日 正法正義を貫いた“原点”忘れず

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正法正義を貫いた“原点”忘れず

 創価学会にとって、創立の日である1930年(昭和5年)11月18日が「出発点」であるとするならば、それは最初に直面した大きな「分岐点」であったに違いない。
 75年前の43年(同18年)7月6日――初代会長・牧口先生と第2代会長・戸田先生は時の軍部政府に逮捕された。容疑は治安維持法違反と不敬罪である。
 この前月、学会は一つの決断を迫られていた。国家神道を精神の支柱にして、戦争を遂行しようとする軍部政府の弾圧を恐れた日蓮正宗宗門が「学会も一応、神札を受けるようにしてはどうか」と言いだしたのだ。
 牧口先生は言下に拒否。弟子の戸田先生もまた殉難の決意を固めた。創価の師弟は大難を覚悟で、国家の諫暁に立ち上がったのである。
 「人間を知るには、苦難というものが必要である。大きな苦難に会えば、人間の思想は必ずあらわれてくる」とは、スイスの哲学者ヒルティの至言だ(草間平作・大和邦太郎訳『幸福論(第二部)』岩波書店)。
 宗門が謗法の濁流に没しようとしていた中にあって、この師弟の決断が、日蓮大聖人の正法正義を受け継ぐ教団であることを決定づけたと言ってよい。牧口先生は獄中で殉教するが、生きて獄門を出た戸田先生は先師の遺志を受け継いで学会を再建していく。
 大聖人は「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(御書287ページ)と仰せだ。王の支配する地に生まれたので、身は従えられているようでも心を従えることはできない、との御断言である。この御文は、ユネスコが編さんした『語録 人間の権利』にも収録されている。
 牧口・戸田両先生が宗門や軍部政府に対して立ち上がったのは、決して一宗一派のためではない。「人間を権威に隷属させる」思想や宗教に抵抗して、「人間の自立と幸福のための」思想・宗教を死守するためであった。
 この人権闘争は第3代会長の池田先生が継承し、創価の人間主義の連帯は全世界に広がったのである。海外の、特に日本が侵略したアジアの国々において学会が深い信頼を得ている理由の一つも、初代・2代の会長が軍部政府の弾圧に屈せず、戦い抜いた歴史があるからである。
 法難の日から75年――。創価の正義の原点に立ち返り、誓いを新たにする日としたい。