


妙法を唱える声、また、確信に触れて、あの人は素晴らしいな、学会の人はすごいな、元気がでてくるな、と聞いた人も随喜する。

若き日、病気との闘いが続いていた私に、恩師・戸田 先生が御書を開いて、励ましてくださった一節がある。

周囲の山々を遥かに見下ろし、三百六十度開かれた大自然のパノラマを眺望するような境涯。

妙法は宝の法である。自分も必ず幸福になり「宝の人生」となる。また先祖も子孫も一族も皆、目には見えないが厳然と光輝く「幸福の軌道」に乗せていける。

諸天善神が肩にかけ、背中に負うというのは、総じて私どもの立場でいえば、現実の問題に関して、必ず「守ってくれる人が現れる」ということであろう。

「なにか困ると、梵天、帝釈が働くのです。向こうからきて助けるのではなく、こっち(己心)にあるところの梵天、帝釈が働きだすのです。

「地球が宇宙の惑星の一つなら、我々人間も、同じだ。人間の活動といったところで、宇宙のリズムある法則から免れることは、絶対にできない。

流れが止まった水は、いつしか澱み、ボウフラ等のすみかとなる。 戦わない人間の生命も同じだろう。
