池田先生ご指導

ゆえに、「己心の外」すなわち我が生命の外に道を求めて、どれほどの修行を重ね(万行)、善恨(万善)を積んだとしても、ちょうど貧しい人が日夜に隣の家の財産を計算しても、

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我々凡夫が、生死流転の苦しみの世界から抜け出せないのは、我々の生命(己心)が妙法の当体であることが分からず、それを引き出せないことが根本原因であり、それを覚知することが一性成仏となるのです。ゆえに、「己心の外」すなわち我が生命の外に道を求めて、どれほどの修行を重ね(万行)、善恨(万善)を積んだとしても、ちょうど貧しい人が日夜に隣の家の財産を計算しても、半銭にも自分の徳にはならないようなものである。との華厳経のたとえを引かれて、その無意味なことを指摘されています。そして、天台の釈(妙楽の弘決)の中にも、己心の外に道を求めるならば、重罪を滅することができないばかりか、無量の苦行となってかえって苦しみが増すだろうと戒められ、そのような人を、仏法を修行しているつもりで外道に陥っていると断じられている。