池田先生ご指導

流れが止まった水は、いつしか澱み、ボウフラ等のすみかとなる。 戦わない人間の生命も同じだろう。

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流れが止まった水は、いつしか澱み、ボウフラ等のすみかとなる。
戦わない人間の生命も同じだろう。喜びも張りもなく、生気に欠けた濁った目となってしまう。


幸福は形ではない。格好ではない。外見や立場、富だけで決まるものではない。
「心」の奥底で何を感じているか。「生命」の奥に何が生き、何が支配しているか。そこに実質がある。


自分がやらなければ! この責任感に立つ時、若き生命は、無限の力を発揮する。
また、青年は「自分の出番」「人生のチャンス」を自らつくり、確実につかみ、勝つことである。
人生には「時」がある。自分が全力で走るべき「時」を逃してはならない。その「時」をつくり、掌中に握らなければならない。またとない「チャンス」を前に、気がつかなかったり、遠慮する。また体裁を考えたり、怖じ気ずく。萎縮する。行動に移せない。--それでは偉大なる人生は歩めない。自分自身に勝てない。


信仰は「観念」ではない。「現実」である。
「信心即生活」「仏法即社会」という現実の場で、勝ったのか、負けたのか。幸福になったのか。不幸になったのか。
その厳しき結果主義の世界、現実の審判の世界で勝ち抜いていくのが信心である。
そして、一切を勝利に導く根本は「確信」である。
ほんのわずか疑っても、その一念の揺れが、そのまま結果に現れる。仏法とはそれほど厳しい因果の理法である。

  1. アバター画像 ミエコ より:

    私、とても、嫌な嫌いな方、婦人部長が 居ます。
    個々3年過ぎ様と、有りますが。楽しく有りません。