


生命が清浄になれば、どんどん、すべてがよくなってくる。 福徳に満ちた、何ものにも壊されない「絶対的な幸福」の境涯に、必ずなっていく。何があっても楽しい。

〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉25 東京校 2003~05年度 2019年12月28日

大願に生きることによって、他のすべての願いが叶うのです。

一個の生命が保持している生命の力を、最大限に出せることは幸せなことである。 生命力が強ければ、病弱な体も健康となる。医学も生かしきっていける。

つまり、「死」は一面からみれば、人間が今世における一切の虚飾をはぎとられて、裸のままの「生命」それ自体が持つ真実の「力」で立ち向かわざるを得ない難関である。

その心が透徹して、つねに大御本尊へ、大御本尊へと祈り、信じ、深め、たしかにしゆくところに、信心の信心たるゆえんがあるといってよい。

南無妙法蓮華経とは、生命を変化させる大元である。われわれが南無妙法蓮華経と唱えることは、その変化させる大元を、自分の生命の中に取り入れることになるのである。

人のためにおこなっているようにみえるがーーありがたいことに、じつは、円融円満の大法のゆえに、いっさいが人のためであるとともに、わが身の功徳善根にかえり、わが身を荘厳しゆくことを忘れてはならない。
