君たちには「誓い」という翼、
「原点」という大地がある。
だから「使命の大空」に飛翔できる。
“握手”をするように、空中で互いに手を握る池田先生と学園生。2001年に入学した卒業生たちを、新世紀の「花の1期生」とたたえた(2004年3月16日、東京・小平市の創価学園で)
“握手”をするように、空中で互いに手を握る池田先生と学園生。2001年に入学した卒業生たちを、新世紀の「花の1期生」とたたえた(2004年3月16日、東京・小平市の創価学園で)
日本一
いな世界一かな
学園城
2003年秋、創立者・池田先生は創価学園の発展をたたえ、記念の句を詠み贈った。
開校から35年。卒業生は東京と関西を合わせて2万人を超え、学術、教育、法曹、医学、経済、スポーツなど各界で活躍を見せていた。
先生は随筆に記した。
「なぜ、学園生が『使命の大空』に、かくも大きく飛翔できるのか?
それは、『誓い』という翼があるからだ。『原点』という大地があるからだ。『師弟』という根本軌道があるからだ」
崩れざる青春の原点を築く――それが創価の学びやである。
◇
2004年3月16日の第34回卒業式。
式典の終了間際、一人の生徒が叫んだ。
「先生! 校歌を歌わせてください!」
「オーケー! 歌おう!」。先生が答える。
あうんの呼吸で、吹奏楽部が態勢を整える。しばしの静寂から、勇壮な前奏が始まった。
それは、全卒業生が心待ちにしていた瞬間だった。校歌「草木は萌ゆる」の歴史を学ぶ中、“いつか先生の前で歌う機会があれば、成長した姿でその日を迎えたい”と、皆で語り合い、学園建設に取り組んできたのだ。
先生は、その思いに応えるように、左手に歌詞カードを持ったまま、右手で力強くリズムを。その動きは徐々に大きくなり、5番では舞を舞うように両手で大きな円を描いた。
続いて、中継で結ばれていた関西創価学園の校歌「栄光の旗」を歌い終えると、先生は壇上の前方へ。駆け寄ろうとする学園生を優しく制し、スッと右手を伸ばした。
学園生もその場で、先生の方へ手を伸ばす。
「ギュッ」
一人一人の顔を見つめながら、空中で手を握る先生。学園生も、それにならう。
「ギュッ」「ギュッ」「ギュッ」
卒業生全員の健闘をたたえるように、右へ、左へ、“空中握手”は何度も何度も繰り返された。
アメリカ創価大学への進学を決め、最前列で参加していた久木田敦志さん(高校34期)は、その“握手”に「後輩の道を開きます!」との誓いを込めた。
学園時代は男子通学生の集い「潮流会」の代表として奮闘。創立者から贈られた「学は光なり」との言葉を指針とし、博士を目指して勉強に励んできた。
渡米後、なかなか研究分野が定まらず、学究の道を諦めかけた時もあったが、「胸に響く校歌の音律が、あの日の誓いを果たそうと、私の背中を押してくれました」。
現在は、米クレアモント大学院大学の博士課程でポジティブ発達心理学を研究。「学園時代の原点を忘れず、自分にしかできない“貢献の人生”を歩んでいきます」と未来を見据えている。
正義の道を
「質問のある人!」
池田先生の突然の呼び掛けに、何人かの生徒が手を挙げる。
第35回卒業式(2005年3月16日)での一幕である。
2番目に質問に立った後藤学さん(高校35期)は、緊張の面持ちで口を開いた。戸田先生の弟子として生きる道を選んだ池田先生の真情を、率直に尋ねたのである。
――高校入学を機に、山形から上京した後藤さん。栄光寮に入寮し、池田先生の人生について詳しく学んだ。
戦後の不況下、経営が悪化した戸田先生の会社から次々と社員が去っていく中、たった一人で事業を支え続けたこと。衰弱した恩師を守るため、無実の罪で牢獄にとらわれ、権力の横暴と戦い抜いたこと。師の遠大な構想を、一つ一つ実現してきたこと――。
後藤さんは小説『人間革命』『新・人間革命』などの著作を読破し、池田先生の波瀾万丈の人生に深い感動を覚えた。いつしか自分も先生のように“正義の道”を貫きたいと思うように。
だが、先生の激闘を知れば知るほど、自分には到底無理ではないかとの気持ちも湧いてきた。だからこそ、卒業式は決意を固める日にしたいと、思い切って質問したのだった。
先生は、戸田先生のもとで苦労に次ぐ苦労の日々だった青春時代を述懐しながら、後藤さんら卒業生に一つの生き方を示した。
“仮に99%が後悔だったとしても、残りの1%を信じて貫けば大勝利できるんだよ”と。
この日、師弟という人生の根幹を教わった後藤さん。「私も将来、どんなに悩んでも、どんなにつまずいても、先生との誓いだけは最後まで貫こうと決めました」
卒業後は弁護士を目指し、創大の法学部を経て法科大学院へ。司法試験の不合格が続くたびに、“自分には向いていないのではないか”と心が揺れた。しかし、先生に勝利の結果で応えたいと挑戦を続けた結果、2017年、悲願の合格を果たす。現在は地元・山形で、弁護士として新たな一歩を踏み出している。
幸福の乙女に
“創立者から歌が贈られた!”――2006年2月3日、女子学園生の間に歓声が広がった。
タイトルは「幸福の乙女」。
前年の11月、関西創価学園に学園歌「関西創価 わが誇り」を贈った池田先生は、“「女子学園生の歌」も作ってあげたい”と、休む間もなく作成に取り掛かっていた。
「後世に残るものを! 歌いやすいメロディーで」。先生ご夫妻の思いが込められた歌は、女子学園生たちに歌い継がれる愛唱歌となった。
発表当時、高校3年だった高橋容子さん(高校36期)。「卒業まで残り約1カ月、毎日のように皆で歌ったことを覚えています。歌えば歌うほど、“一人も残らず幸福に”という先生の心が胸に迫ってきました」
高橋さんは、創大3年次に交換留学で南アフリカへ。将来は海外への雄飛を志していたが、帰国後に心身のバランスを崩してしまう。思うように体が動かず、次第に大学へも行けなくなった。
“もう卒業は無理かもしれない……”
何もかも投げ出しそうになっていた時、「幸福の乙女」を共に歌ってきた学園時代の友人たちが家を訪ねてくれた。
家族の支えもあり、少しずつ明るさを取り戻していった高橋さんは、7年かけて大学を卒業。就職までは、そこからさらに1年以上を要したが、社会人としての歩みを開始する。
職場では、誠実な勤務態度で地道に信頼を拡大。向上心と人柄を買われ、世界的な外資系広告代理店に転職を果たすことができた。
現在は、コピーライターとして奮闘する。本が好きで、“いつか言葉で希望を送れる人に”と願ってきた通りの仕事だった。
働き始めた当初は、挫折を経験した自身の過去に劣等感を抱いていた。しかし今では、“悩み抜いてきた自分だからこそ紡げる言葉がある”と、全ての仕事に深い使命を感じている。本年、チームで手掛けたポスターが国際的な賞を受けた。
「先生は常々、“苦難に負けない人生こそ幸福なんだ”と教えてくださいました。月日がたつほど、その言葉の意味を深く実感します」と、高橋さんは振り返る。
「幸福の乙女」の歌詞には、こうある。
青空を見上げて
歩みゆけ
創価の絆で
いつの日も
生命の庭の
わが娘よ
永遠に光れや
誇らかに
学園で結ばれた“勝利の絆”は、強く、明るく、卒業生の心を照らし続けている。
(月1回の掲載予定)