南無妙法蓮華経とは、生命を変化させる大元である。われわれが南無妙法蓮華経と唱えることは、その変化させる大元を、自分の生命の中に取り入れることになるのである。
したがって、自分の望む方向に物事が変化していって、願いが叶うのは、むしろ当然のことなのである。ただし、本当は、取り入れるのではなくて、「所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、併ら護念の体を開くなり」とあるように、われわれの生命自体が、本来、南無妙法蓮華経の当体なのである。
御本尊を信じて朝晩きちんと拝み、念じ、訴えるならば、その一念によって、全宇宙というものが、自分の願いと同様に作用し、願いどおりになる。
祈りとは真剣な戦いである。安閑と、ただ何となく祈っていては、願いごとは叶いません。