
本日の御書


本日の御書 蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし(崇峻天皇御書p1174)

本日の御書 悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし、目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、

本日の御書 此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ(佐渡御書p956)

本日の御書 たとへばはるの野の千里ばかりにくさのみちて候はんにすこしの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる(さじき女房御返事p1231)

本日の御書 五の巻には我が末世末法に入つて法華経の行者有るべし、其の時其の国に持戒破戒等の無量無辺の僧等集りて国主に讒言して流し失ふべしと説かれたり、然るにかかる経文かたがた符合し候畢んぬ未来に仏に成り候はん事疑いなく覚え候(松野殿御返事p1389)

本日の御書 とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ (上野殿御返事p1561)

本日の御書 何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし(松野殿御返事p1383)

本日の御書 夫れ以んみれば末法流布の時生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり(如説修行抄p501)
