音のしない拍手がある。それを知ったのは、「妙音会」(耳が不自由な学会員のグループ)の集いに出席した時だった▼手話を交えた体験発表が終わるや、参加者が一斉に手のひらと甲を交互に見せるように、ひらひらと動かす。静かだが、花吹雪のようで、にぎやかだ。これが拍手を意味する手話だという。ある友いわく「『拍手が舞う』『拍手がきらめく』といった感じでしょう?」▼御書には「言は心を尽さず」(1012ページ)と仰せである。それでも、どうしても伝えたい思いがある時、その心は、おのずと振る舞いに表れるものだろう。妙音会の友と接していると、懸命なしぐさ一つ、豊かな表情一つから多くのメッセージを受け取れる。共通するのは「この信心の素晴らしさを伝えたい」との情熱だ▼法華経に説かれる妙音菩薩は全身を金色に輝かせ、「七宝の蓮華」を雨とふらしながら登場する。見えないが、妙法で確かに得た「大境涯」を「目に見える姿」で表現したのである▼池田先生は語る。「妙音」とは人の心を揺さぶる「確信の言葉」であり、「『妙音』を響かせることができる楽器はただ一つ、わが生命にほかならない」と。学会にはその生命を日々磨き、自らの姿で“妙なる音”を奏でる素晴らしい同志がいる。(之)