本日の御書

本日の御書 かかるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給いて今日は四十九日にならせ給へば一切の諸仏霊山浄土に集まらせ給いて或は手にすへ或は頂をなで

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【御書本文】
かかるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給いて今日は四十九日にならせ給へば一切の諸仏霊山浄土に集まらせ給いて或は手にすへ或は頂をなで或はいだき或は悦び月の始めて出でたるが如く花の始めてさけるが如くいかに愛しまいらせ給うらん(上野殿母御前御返事p1571 n1908)

【通解】
このようにありがたい法華経を、故七郎五郎殿は信心されて仏になられました。今日は四十九日になられるので、一切の諸仏が霊山浄土に集まられて、あるいは手にすえ、あるいは頭をなで、あるいは抱き、あるいは悦び、月が初めて出たように、花が初めて咲いたように、どんなにか七郎五郎殿のことを愛されていることでしょう。

【先生の指導から】
この御文は、信心を貫きとおして亡くなった方の、死後の生命の境涯を示されている。生死にわたって、仏界の生命につつまれ、所願満足の幸福境涯に遊戯していけるのが妙法である。
そして、ひとたび仏界の境地に入れば、生々世々、自由自在に、自分の願う所と願った境涯に、生まれてくることができる。しかし、謗法の人、退転の人は、絶対に仏界に入ることはできない。苦悩の生命の連鎖を繰り返していかざるをえない。これが因果の法則である。