【御書本文】
ひへのはんを辟支仏に供養せし人は宝明如来となりつちのもちゐを仏に供養せしかば閻浮提の王となれり、設いこうをいたせどもまことならぬ事を供養すれば大悪とはなれども善とならず、設い心をろかにすこしきの物なれどもまことの人に供養すればこう大なり、何に況や心ざしありて、まことの法を供養せん人人をや(衆生身心御書p1595 n2047)
【通解】
(ささやかな)稗のご飯を辟支仏(縁覚)に供養した人は宝明如来となり、土の餅を仏に供養した人は世界の王(アショーカ大王)となった。たとえ供養しても、真実でないことに供養すれば、大悪とはなっても善とはならない。たとえ、ぼんやりと軽い気持ちで少しの物を供養したとしても、真実の人に供養すれば功徳は大きい。まして厚い志をもって真実の法を供養する人々の功徳は言うまでもない。
【先生の指導から】
─土の餅であっても、仏に供養すれば、その人は世界第一の王、すなわちアショーカ大王となった。しかし、どんなに供養しても、悪人に供養すれば「大悪とはなっても善とはならない」。
仏法は厳しい。つく人を間違ったら、大変である。
戸田先生の時代から、学会にも悪い幹部はいた。悪党の人間がいた。そういう人についた人間は、結局、皆、だめになっている。
反対に、真実の法に供養すれば功徳は大きい。
皆さまは広宣流布に戦っておられる。「身の供養」をしておられる。そして、仏意仏勅の「世界一の創価学会」を堂々と築かれた。経文に照らし、御聖訓に照らして、その功徳は「無量無辺」である。