【御書本文】
比れ等は賢人聖人の事なれば我等は叶いがたき事にて候。ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり(白米一俵御書p1596 n2053)
【通解】
これら雪山童子等の修行は賢人・聖人の修行であるから、われら凡夫にはかなわぬ修行である。ただし、仏になるということは、凡夫は「志ざし」という文字を心得ることによって成仏できるのである。
【先生の指導から】
雪山童子や薬王菩薩等が行った修行は、過去の賢人・聖人の修行であって、末法の凡夫には不可能である。そして、末法においては、信心の「志ざし」こそが成仏の因となる、と。
凡夫の現実に即して成仏の道を示してくださる大聖人の深い慈愛が拝察されてならない。