本日の御書

本日の御書 何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし(松野殿御返事p1383 n1989)

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【御書本文】
何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし(松野殿御返事p1383 n1989)

【通解】
どのような悪鬼・畜生であっても、法華経の一偈一句を説く者に対しては「まさに、心から礼を尽くして遠くより出迎え、まさに仏を敬うようにしなさい」との、経の道理であるゆえに、仏法を持った者は、仏に仕えるごとく、互いに尊敬しあうべきである。
たとえば、法華経宝塔品の儀式のとき、釈迦多宝が半座を分けて釈迦仏を迎え、二仏が並座したように、たがいに尊敬しあわなければならない。

【先生の指導から】
「法華経を一偈一句でも説く人」─学会の同志の皆さんである。
「必ず成仏できる信心ですから、やってごらんなさい」「どうせやるなら、釈尊の言われたとおりの正しい信仰にすべきです」「まちがった宗教はいけません」等々─わが同志は、友の幸福を願い、自由自在の語らいを繰り広げている。
また、「多宝如来が半座を分けて釈迦仏を迎え」とは、法華経の宝塔品に説かれた有名な「二仏並座」のことである。
つまり、釈尊が、宝塔の扉を開くと、中に座っていた多宝如来が、“さあ、どうぞ、こちらへいらしてください”と「座」を半分あけて、釈尊と並んで座った─この二人の仏のように、妙法を持つ人は、たがいに尊敬しあい、大事にしあっていきなさい。この二人の仏を模範としていきなさいとの仰せなのである。
仏法には、上も下もない。全員が最高に尊い仏の生命を具えている。最高に輝いている存在である。
この法華経の真髄のとおりに創り上げてきたのが、創価学会の「人間共和の世界」である。牧口初代会長も、戸田第二代会長も、その達成のために、一身をなげうって戦われた。
同志の信頼と和合─これがあったから、創価学会は、今日の世界一の発展を築くことができたのである。