信心がおろそかになったときに、病気の姿をあらわさせるのである。 より信心を深め、生命を蘇生させていくために、その病気があると思いなさい。

たとえば、病気の人には、大聖人は御書をとおし、次のように仰せである。
信心がおろそかになったときに、病気の姿をあらわさせるのである。
より信心を深め、生命を蘇生させていくために、その病気があると思いなさい。
この仰せのごとく、心して少々の病に負けず、いっそう信心を奮い起こして、さらに力強い人生を歩んでいってほしい。
ともかく身は軽く法は重い。
この大法に信順していくならば、私どもは、永遠にわたる成仏という「我」、すなわち幸福への生命の常住を築くことができるのである。
したがって多少の苦悩、多少の経済苦等に負けることなく、ひたすら信行の精進をしていくことこそ、すべてにわたる栄光の人生の源泉となっていくことを忘れてはならない。

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コメント

  1. アバター 塩澤 より:

    ありがとうございます‼️感謝しております(^_^)