もとより、仏道修行とは、自等の生命に巣食う元品の無明、煩悩を冥伏せしめて、元品の法性・菩提を顕現せしめる生命内奥の闘争が核となるといってよい。
病は本来、心が病んでいるからおこるのだと私は信じている。この心とは私だけの心ではない。広くは社会全体、いや宇宙にみなぎる心である。
人々の心が病む時、自分だけが健康を保つことは難しい。
出来上がった組織の力を自分の力と錯覚して実力もないのに自分が偉くなったかのようにおごってしまう! 大きな落とし穴がある!
川の水も同じである! 流れがよどみ停滞すれば、いつしか濁って、変質する!
妙法の世界にあっても、献身の行動をいとい退転した人間は、信心の清流が濁り、心が腐ってしまった姿にほかならない!