池田先生ご指導

生きていること自体が幸福であという境涯、女房のこごとも子守歌に聞こえ、文句をいうやつの顔が四角になったり、

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御本尊の左右の御肩に「若悩乱者頭破七分」(若し悩乱せん者は頭七分に破れん)「有供養者福十号」(供養する有らん者は福十号に過ぐ)とおしたためである。
「頭破作七分」とは「心破作七分」ともいう。不信、誹謗の人は、割れた器のようなもので、福運も、幸せも漏れ、流れてしまう。一方、妙法を信受し、御本尊を賛嘆し供養する人は、「福十号に過ぐ」と。十号とは、釈尊のそなえた十の尊称であり、この釈尊の命にそなわる偉大な功徳よりも、御本尊を信受する功徳がはるかに大きいとの仰せなのである。


生きていること自体が幸福であという境涯、女房のこごとも子守歌に聞こえ、文句をいうやつの顔が四角になったり、丸くなったりするのを、楽しくながめられるだけの、心にゆとりのある生活、これが絶対的幸福であり、われわれは御本尊をしっかり拝んで、ここまで幸福境涯を進めなければならない。

  1. アバター画像 松本です より:

    忙しさにかまけて形だけの題目にもなってしまっているからか、心の余裕が無くなっていると感じています。
    短くと祈りを込めた題目をあげなければと反省です。