顔が変わるぐらい祈るんです。命の底から、本気になって題目をあげるんです。そうでないと何も残らない。魔が破れないで、いくらやっても空転である。

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今、大事なことは祈ることだ。真剣に祈るんです。『法華経に勝る兵法はなし』とあるじゃないか。顔が変わるぐらい祈るんです。命の底から、本気になって題目をあげるんです。そうでないと何も残らない。魔が破れないで、いくらやっても空転である。とにかく、1日1時間の闘いの中で、題目をあげきりなさい。題目第一でやっていこう。会合の前に題目。指導の直前に題目。そして家に帰って、また題目を上げるんです。命が変わらないわけがない。一番わかっているはずです。これしか戦いはない。題目をあげて戦ったもののみ、確信と喜びと功徳があらわれるんです。 

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「苦しい」「大変だ」ーーだからこそ!と決意を新たにして一にも二にも題目を唱え抜いていくのです。 題目で勝つのだ!」何と力強い言葉か。題目こそ、最極の勝利の利剣である。 
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それはどうしてかといいますと、私達の理性の範囲では、まだ理解できなくても、生命それ自体とか、無意識の深層の世界では、これを十分に受けとめ、それに反応する働きがあるのです。これは、例えば、赤ん坊が何もわからなくても、乳をのむことができるのと同じです。頭では、題目の意味も、経文の意味も理解できなくても、それを読み、唱えることによって、生命の深い奥では、その意味や意義がわかったのと同じように、これを吸収し、それに応じた発動が行われていくのです。 
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題目を唱えておかないと長い人生において非常に困ることになる。唱えられるときに唱えておくことだ。たとえていえば唱題は貯金であり、充電である。人は死ぬまでさまざまな苦悩に直面するものだ。思ってもみなかったような問題に直面したときに、題目を唱えていた人と、唱えていなかった人の差があらわれるのだ。唱えている人は変毒為薬し、唱えていない人は奈落に落ち込んでいく。どんなに頭がよくても、偉くなっても題目を唱えている人に比べればかなわない。題目を唱えていれば、ぜんぶ人生が開けていくのである。 
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弱々しい題目では、病魔だって打ち破ることができない。宿命転換も不可能だ。白馬がパッパッと駆けているような朗々とした勤行、唱題をしていこう。御本尊にビンビンと響き、感応していく勤行、唱題に、無限の功徳がある。そういう勤行、唱題を実践し、はつらつとした人生を送っていこうではないか。 
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すなわち、八万宝蔵、さらには一切法といっても、それらは全て御本尊の説明であり、せんじつめれば、一切法は御本尊に帰着することを知っていただきたい。そして、あたかも理論や原理はわからなくても簡単にテレビを操作できるのと同じように、たとえ仏法哲理は知らなくても、ただ純粋に御本尊をだきしめ、題目を唱えるという実践によって、御本尊の力は現実の生活のうえに、歴然と現れてくるのであります。 
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うれしくなって、いつでも笑いがあり、いつも朗らかだから、その人が商売すれば繁盛してくる。同じ買うならあのおカミさんのところへ行って買おう、ということになる。それが悦可衆心です。題目で洗われた生命から、じっくりと、にじみ出てくる清らかな喜び。いわば「悩みをも友達にして」上手につき合いながら、どんな状況からも楽しみを見つけ、喜んでいける達人の境涯。 
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一遍の題目にも、無量の功徳がある。諸仏が長い時間をかけて、何度も生まれ変わって修行して得た功徳を、私達は瞬時にしてあますことなく得ることができる。それほど偉大な妙法なのです。