社説

〈社説〉きょう「教学部の日」 2018年9月12日 青年教学1級へ行学錬磨の青春道

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青年教学1級へ行学錬磨の青春道

 きょう9月12日は日蓮大聖人が「竜の口の法難」に遭われ、末法の御本仏としての本地を顕された「発迹顕本」の日である。
 「闘諍言訟」――争いや論争が絶えない悪世にあって、法華弘通の旗を掲げられた大聖人。御一代の中でも竜の口の法難から佐渡流罪は、命にも関わる大難の日々だった。
 佐渡に着かれたのは、文永8年(1271年)10月。その年の冬から翌年の春まで住まわれた塚原三昧堂は、「天井は板間が合わず、四方の壁は破れて雪が降り積もって消えることがない」(御書916ページ、通解)という極寒の環境だった。念仏者などの敵から常に命を狙われる状況にもあった。
 苦難の真っただ中にあって、大聖人は破邪顕正の折伏戦を展開。一方、この佐渡において「開目抄」「観心本尊抄」など、法門上、重要な御抄を次々と執筆し、全民衆の生命に幸福を開くため、末代までの民衆仏法の哲理を確立しようと戦い続けていかれたのである。
 大聖人は自らの御心中について、文永9年4月、佐渡流罪中に弟子となった最蓮房に宛てたお手紙の中で、次のように示されている。
 「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」(同1343ページ)。妙法を修行するところはいずこにあっても常寂光土である。どんな過酷な環境であろうとも、断じて広宣流布に戦い抜く――。その雄々しく、悠々たる御境涯に、門下はどれだけ奮い立ったことだろうか。
 現代にあって、この大聖人の魂に直結し、日蓮仏法の真髄を世界に広げてきたのが、創価の三代会長である。
 池田大作先生は力説する。「妙法を唱え、広宣流布に生きゆく人は、このわが身を『妙法蓮華』の当体と光り輝かせて、決して崩れない幸福境涯を開いていくことができる。これが、御本仏の御約束である」
 この言葉のまま、草創以来、創価の父母たちは自らの宿命との戦いに打ち勝ち、地域に社会に妙法の大功力を実証してきた。
 現在、青年部教学試験1級を今月30日に控え、教学研さんの波が起きている。各地の会館では御書や「大白蓮華」を開き、真剣に学ぶ男女青年部の友らがいる。御書の一文一句を心に刻もうと、行学錬磨の青春道をひた走る姿は誇らしく、また頼もしい。そうした一人一人に懇切丁寧に理解を促し、渾身の励ましを送る壮年・婦人部の友にも、心から感謝したい。きょうは「教学部の日」。