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「原爆の日」から73年 長崎で平和祈願勤行法要 2018年8月10日 生命尊厳の潮流を今こそ

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生命尊厳の潮流を今こそ
長崎平和会館で行われた「世界平和祈願勤行法要」。原爆と戦争による全ての犠牲者の冥福を祈り、不戦の世紀建設への誓いを新たにした

 73回目となる「長崎原爆の日」を迎えた9日、「世界平和祈願勤行法要」が長崎平和会館で厳粛に営まれた。
現在、長崎市の被爆者(被爆者健康手帳の所持者)は3万人を下回り、市の人口の7%に満たない。平均年齢は被爆者全体で82・06歳、長崎市に限っても81・67歳に上った。
「被爆者のいない時代」への危機感が叫ばれる中、核兵器がもたらしたものを見つめ直し、“この苦しみを二度と誰にも味わわせてはならない”との被爆者の願いを継いでいく――原爆忌に合わせ、学会でも各地で、核兵器廃絶を誓う取り組みが行われた。
長崎の法要では、勤行の後、髙村剛さんが被爆体験を語った。
当時10歳だった髙村さんは、爆心から約2キロ離れた自宅そばの木に登って遊んでいた時に被爆した。午前11時2分。目がくらむような閃光に続いて猛烈な爆風が髙村さんを襲った。気が付くと、20メートルほど離れた田んぼの中に横たわっていた。
一命を取り留め、母や弟らと再会できた。だが、6歳だった妹は大やけどを負い、顔は赤黒く焼けただれた。以来、山の麓まで湧き水を汲みに行き、妹の顔を手当てする日々が始まった。後に妹の顔の傷は回復したものの、原爆によるケロイドが残り、思春期には、心ない言葉を浴びせられたことも少なくなかったという。
「ふびんでなりませんでした。妹の青春を奪った原爆が憎くてたまりません」
その後、学会に入会した髙村さん。40年以上、自宅を広布の会場に提供し、平和の願いを受け継ぐ青年の育成に当たってきた。
「わが家に子どもはいませんが、世界平和に燃える青年たちが陸続と育ってくれていることが何よりの誇りです」と、力を込めて語った。
三浦長崎総県長は、“核兵器は絶対悪”との思想を長崎から全世界へと強調。平井九州長は、自らの人間革命の勝利劇から、生命尊厳の潮流を高めていこうと訴えた。