信心で「世界一の老舗」に
大学に通っていた頃、叔母から受験を控えた従兄弟の家庭教師を頼まれました。家に行くと、従兄弟はいつも熱心に題目を唱えていました。
当時の多くの青年と同じく、マルクス思想に傾倒していた私は、「宗教はアヘンやけん、題目やら、あげんで勉強せな合格できんよ」と彼に忠告しました。それを聞いた叔母は、「あんた『人間革命』の哲学を知らんと? 認識せずして評価したら損するよ」と、火を吐く言論で私を破折しました(笑い)。
勢いに圧倒され、小説『人間革命』を読み始めたところ、感動と興奮で体が熱くなりました。
“一人の人間革命が全人類の宿命をも転換する”という哲学のスケールの大きさ、山本伸一青年の師弟を貫く生き方に命が揺さぶられ、民衆の幸福と世界平和を実現するのは、この道しかないと、69年に入会しました。
一、その翌年に父が他界し、私は大学卒業と同時に、和菓子店を継ぐことに。老舗の伝統が、一気にのし掛かってきました。
当時、従業員は20人、経営は赤字続き。山陽新幹線が博多駅まで開業する75年までが勝負と決め、社運を懸けて新商品づくりに取り組みました。
全国の銘菓を、かき集めました。いろんな甘いお菓子を渋い顔で食べている私を見て、長年、会社を支えてきた母が言いました。
「よそのお菓子もいいけど、これまであんたが生きてきて、本当に感動したお菓子はなかと?」と。
ハッとしました。私にとって最高のお菓子、それは幼い頃に母の実家で食べた祖母のきな粉餅でした。焼いた餅をお湯に浸して、きな粉をまぶし、黒砂糖をかけると、それが熱で溶けだし、格別のおいしさでした。あの地元の味で勝負しようと、心が定まりました。
それからは、何百回と試作に試作を繰り返しました。これはと思う試作品ができるたび、食品会社を経営する学会の先輩の所に持っていきました。
先輩は「いいところまで来ているが、まだ足りないものがあるなあ」と。私が「何が足りませんか」と聞くと、「あと題目が100万遍くらいかなあ」と真顔で言うのです(笑い)。先輩の言う通り、徹底して題目をあげては試作に挑戦。この間に3世帯の折伏も実りました。
納得のいく商品ができるまで3年を費やし、わが社の看板商品「筑紫もち」が誕生しました。おかげさまで筑紫もちは好評をいただき、国際的な品質評価コンテスト「モンドセレクション」の最高金賞を10回受賞。年間1200万個を売り上げる人気商品に成長しました(拍手)。
一、それでも経営は山あり谷ありです。90年代にはバブル崩壊のあおりを受け、会社は倒産寸前にまで追い込まれました。
しかし、池田先生の弟子として負けるわけにはいかない。「必ず乗り越えます」と決意を記し、先生に手紙をお届けすると、思いもかけず、先生から書が届きました。そこに、したためられた文字にくぎ付けになりました。
世界一 老舗山
森福光 夫婦城
涙が止まりませんでした。師匠が勝利を信じてくださっている。恐れるものなどないじゃないか。再起を誓い、夫婦で御本尊に向かいました。
先生の言われた“世界一の老舗”を築くため、世界基準の会社にしようと決意。従業員も団結して協力してくれ、97年には、品質マネジメントシステムの国際規格「ISO9001」を取得することができました。
こうした努力によって力ある人材が育ち、経営も安定。ヒット商品も次々と生まれました。現在では、従業員は社長就任当時の18倍となる360人、年商も40倍の31億円にまで発展させることができました(拍手)。
一、仕事が多忙でも信心は一歩も引かず、いつでもどこでも題目根本に戦ってきました。時々利用する運転代行の車の中でも、了解を得て唱題していたところ、運転手さんが題目の響きに感動し、昨年の5月3日に入会(拍手)。先月の教学部任用試験にも見事、合格されました。
4人の息子たちの子育て中は、主婦として家庭を守ってくれていた妻も、現在は、わが社の副社長として経営をもり立ててくれています。学会婦人部での薫陶のおかげか、財界でも信頼され、今では九州商工会議所女性会連合会で会長を務めています。
長男だけはお菓子より音楽に魅了され、アメリカでプロのファゴット奏者として活動しています。次男・三男・四男は、それぞれわが社の中核として、老舗に新しい風を送ってくれています。
経営者の知人に、4兄弟の仲の良さをうらやましがられるたび、学会の永遠の指針である「一家和楽の信心」の深い意味を実感しています。
これからも家族が団結して“世界一の老舗”を目指し、お菓子を通して、広宣流布、世界平和に貢献していく決意です(拍手)。