法悟空 内田健一郎 画 (6438)
山本伸一は、恩師・戸田城聖の逝去から二年余がたった一九六〇年(昭和三十五年)五月三日、第三代会長に就任すると、その五カ月後の十月二日には、世界平和の旅へ出発した。
第一歩を印したハワイでは、連絡の手違いから、迎えに来るべきメンバーも来ていなかった。旅先で著しく体調を崩し、高熱に苦しんだこともあった。学会への誤解から、政治警察の監視のなかで、同志の激励を続けた国もあった。
北・中・南米へ、アジアへ、ヨーロッパへ、中東へ、アフリカへ、オセアニアへと、人びとの幸福を願って駆け巡ってきた。
社会主義の国々へも、何度となく足を運び、友誼と文化の橋を架けた。
日蓮大聖人の御遺命である「一閻浮提広宣流布」を実現するために、命を懸ける思いで世界を回り、妙法という平和と幸福の種子を蒔き続けてきた。恩師の戸田と心で対話しながらの師弟旅であった。
その海外訪問も、このチリの地で、いよいよ五十番目となるのだ。
彼の脳裏に和歌が浮かんだ。
「荘厳な 金色に包まれ 白雪の
アンデス越えたり 我は勝ちたり」
やがて、山並みの上に、三日月が光を放ち、大明星天(金星)が美しく輝き、星々が瞬き始めた。伸一には、それが諸天の祝福であるかのように感じられた。
チリに到着した翌日の二十四日、彼は、首都サンティアゴ市の市庁舎で、名誉市民称号にあたる「輝ける賓客章」を受けた。
その授章決議書には、伸一の訪問は、「チリと日本の『人間相互の理解』を一層深め、さらには人間の基本的な価値観を共有する『友情の絆』を確固たるものにしていく『特別な機会』である」と述べられていた。
その後、伸一は、サンティアゴのチリ文化会館を訪問し、第一回チリSGI総会に出席した。皆の喜びが弾けた。経済の混乱、軍事政権による人権侵害など、長い冬の時代を越え、今、希望の春の到来を感じていたのだ。