名字の言

〈名字の言〉 2018年5月15日  その壮年は、30年ぶりに“学会の庭”に戻ってきた。

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その壮年は、30年ぶりに“学会の庭”に戻ってきた。未来部時代を最後に、信心から遠ざかっていたという▼「会合で迎えてくれる同志の温かさは、昔と変わっていませんね」と。ただ一つ変わっていたのは「未来部担当のお兄さんが、すっかりおじさんになっていたこと」。隣で、その“おじさん”もほほ笑んだ。「待ってたよ。また一緒にやろうな」▼ただ待っていたわけではない。励ましに通い続けること十数年。時に、玄関のドア越しに、けんもほろろにあしらわれることがあっても、祈り続けてきたのである。“必ず彼が立ち上がる時が来る!”と信じながら▼「待つ」といっても、その内実はさまざまである。漠然と時が流れるのを「待つ」だけなのか。粘り強く行動を続け、時が来るまで忍耐強く「待つ」のか。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もある。人事を尽くした上で、真剣に題目を唱え抜き、天命さえも変えていこうとする――それが「宿命をも使命に変え」「不可能を可能にする」創価の生き方である▼「待つ」はスペイン語で「エスペラール」という。名詞形は「エスペランサ」。意味は「希望」である。まだ見ぬ“よりよき未来”を信じるには、希望が必要だ。信心とは無限の希望の源泉にほかならない。(之)