【御書本文】
ただいまに霊山にまいらせ給いなば日いでて十方をみるがごとくうれしく、とくしにぬるものかなとうちよろこび給い候はんずらん(妙心尼御前御返事p1480)
【通解】
やがて霊山へ参られたならば、太陽が出て十方世界を見晴らすようにうれしく、早く死んでよかった、と喜ばれることでしょう。
【先生の指導から】
「死」というのは、一般には、「寂しく」「暗い」ものだと思われている。しかし、もっと本源的な生命の法則から見れば、死も生も、永遠の生命の一断面にすぎない。
南無妙法蓮華経と唱え抜き、弘め抜いていった人は、亡くなっても、太陽が赫々と昇り、「早く死んでよかった」といえるような自在の境涯を楽しんでいける。
まさに「生も歓喜」「死も歓喜」である。
だからこそ、大聖人は、今世で、真剣に妙法の信仰を貫いていきなさいと仰せなのである。
また、家族に対しては、“信心をして亡くなられたならば、何の心配もいりません”“本人も必ず喜ばれるにちがいありません”と、励ましておられる。これが妙法の世界である。