【御書本文】
赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれども乳を含めば身命をつぐが如し、阿含経を習う事は舎利弗等の如くならざれども華厳経をさとる事解脱月等の如くならざれども乃至一代聖教を胸に浮べたる事文殊の如くならざれども一字一句をも之を聞きし人仏にならざるはなし(法蓮抄p1045)
【通解】
赤子が水と火をわきまえることができなくても、また毒と薬を知ることができなくても、乳を飲めば身命を継ぐようなものである。
阿含経を習うことは舎利弗等のようではなくとも、華厳経を悟ることは解脱月等のようではなくとも、ないし一代聖教を胸に浮かべることは文殊菩薩のようではなくとも、一字一句でも法華経を聞いた人は仏にならない人はいない。
【先生の指導から】
赤ん坊が、お乳を飲めば知らずしらず大きく育っていくのと同じように、御本尊を信じて妙法を唱えきっていくならば、必ず無量の福徳が輝いていくのです。
またたとえば、犬には犬の、鳥には鳥の世界の言葉があります。人間には分からないが、犬同士、鳥同士には確かに通じ合っているにちがいない。また、学術用語、外国語なども、他の人には分からなくても、これもまた立派に通じます。
同じように、勤行・唱題の声は、仏・菩薩の世界の言葉であると言えます。たとえ意味は分からなくても、きちんと御本尊に通じ、諸天善神、三世十方の仏・菩薩の世界に通じていく。そして、全宇宙が私たちを福光で包んでいくのです。
もちろん、その実践を根本として、さらに求道心を持って経文の意味を学んでいけば、いちだんと確信が強まり、信心の勢いを増していけることは当然です。
勤行・唱題は、御本仏と南無妙法蓮華経の大法を讃嘆申し上げる儀式です。別の言い方をすれば、宇宙の根本の妙法を、そしてまた仏様を、最高最善に讃嘆する詩であり、歌であると言ってもよいでしょう。
それは同時に、永遠なる宇宙生命の讃歌であり、自分自身の仏界を讃嘆していることでもある。