河合副教学部長
セールスマンの譬え
信心を義務でやったり、やらされたり、唱題のための唱題だったり‥
それは惰性です。
百万遍をあげて 落ち込む婦人部が沢山います。
頑張って悪くなる人がいる。そういう人は惰性の信心だったり、愚痴によって、全てを失っている人たちです。
相手ではありません。皆、未熟なんだから、欠点があるのは当然です。
その人の欠点が 直りますようにと 祈ることです。
この信心は妙法です。決意して祈れば 必ずできる。
具体的に、いつまでに、こうなりたいと祈って行動することです。
人を怨んではいけない。皆を幸せにすることが信心なのですから。
クルマの販売で、3台売りたいと祈った。
すると 3台売れた。しかし、利益がない。
そこで、利益も取って3台売りたいと祈ったら、利益を乗せて売れるようになった。
これは現証です。
ともかく、自分自身が変わらないと駄目なんです。
自分が変わった分だけ周りが変われるのですから。
決めて、祈って、行動する
さて、自分は何も悪くないのに難があります。
自分では忘れているが、過去の宿業がある。
この信心は、宿業をバネにして、以前より良くなるのです。
これを変毒為薬というのです。
信心が強ければピンチも必ずチャンスに変えられます。
敵も味方に変えられます。
決めて、祈って、行動する。信心は、それだけ。
さて、私たちは信心を 自分のためだけにやっているのではない。
広宣流布とは、不幸の追放運動です。幸せの拡大運動です。
悩みのない人には信心を勧めなくてもよい。味方にしておく。
不幸な人がいたら、折伏してあげる。
不幸な人、困っている人を、救わせてくださいと祈る。
悩んでいる人には仏法の話はいらない。
「あなたの宿業なんです。この信心をすると直ります」
これだけでいい。祈って、祈り切って言いなさい。
相手が「分かりました、やります」というのは、理屈が分かったからではなく、あなたの気持ちが分かりましたということです。
この指導が好きな理由は変わることが信心と言う考え方です。
前進と言っても、どうすれば良いか解らないです。
変わることです。
昨日と比べて今日、何か変わることです。